クラリネットアンサンブル曲、ネリベルの『コラールと舞曲』はこんな曲!
中学生や高校生のアンサンブルコンテストでも演奏されることの多い、クラリネット8重奏のためのネリベル作曲『コラールと舞曲』。
先日、この曲を演奏する機会があったので、今回はこの曲について書いてみようと思います!
まずは作曲者のヴァーツラフ・ネリベルについて。
今年2019年はネリベル生誕100周年!
色々なところで、彼の曲が演奏されています。
ネリベルは1919年、チェコスロバキアの裕福な家庭に生まれました。
彼は小さいころから音楽が大好きだったので、ピアノを習いたいと両親に頼みますが、両親は反対。
両親は彼に音楽家になってほしくなかったのです。
それでも彼は、親に内緒で近所の教会に行き、礼拝音楽を聴くのを楽しみにしていました。
そして11歳の時、親元を離れて中等学校に行くと、独学でオルガンをマスターします。
彼の学校のオルガニストが急死した後は、彼がその代わりを務めることに。
さらに13歳になると仲間を集めてオーケストラを作り、自分で指揮、編曲、そして作曲をするようになります。
大学はプラハ大学に入学。
時はヒトラーの時代。
1939年、ドイツ軍は学生を次々に逮捕しました。
ネリベルはその様子をプラハ大学の門の前で目撃!
彼の大学の仲間は、ドイツ軍に次々に逮捕されていきます。
ネリベルは助けを求めてチェコ音楽大学に駆け込むと、急遽ここに編入学させてもらうことに。
音楽大学の生徒は政治的に無害とされ、彼はなんとか命拾いしたのです。
しかしその後、逃亡した学生を探すドイツ軍に見つかってしまい、強制労働を言い渡されます。
それでもネリベルはあきらめずに、ドイツのゲルリッツ市民劇場の伴奏者オーディションに応募すると、見事採用!
音楽家して働くこととなり、なんとか強制労働を免れることができました。
ネリベルは、このように色々な危機から危機一髪で逃れ、生き延びた作曲家なのです!
戦争が激しくなってくると、ネリベルは祖国を離れ、アメリカに行き、アメリカ国籍を取得します。
ここで聴いた大学バンドの演奏に心を奪われると、「好奇心に火がついた」と言って、吹奏楽曲を書くことに熱中し始めます。
1965年には、『コラール』『トリティコ』『シンフォニック・レクイエム』を、1966年には『プレリュードとフーガ』、『交響的断章』という名作を書き上げたのでした。
ネリベルが76歳で亡くなるまでに作曲したのは400曲あまり。
彼が亡くなった後、自宅から200曲あまりの未出版作品が見つかり、「ネリベル・コレクション」として管理されることとなりました。
そんなネリベルが作曲した曲は管楽器や吹奏楽など、学生のための曲が多いです。
クラリネットの協奏曲も書いています。
彼の作品は個性的!
非機能的なモードや完全全音階、機械的リズムをたくさん使って作曲しました。
短い音列を繰り返しながら展開したり、古い旋法や大胆な不協和音を用いたりし、彼独特のハーモニーを作り出しています。
そして、管楽器の重厚な響き、特に打楽器は緊張感の絶えないリズムが繰り返され、輝かしく大活躍します。
クラリネットアンサンブルのために書かれた『コラールと舞曲』は、エスクラリネット、1st、2nd、3rdクラリネット、アルトクラリネット、バスクラリネット、コントラアルトクラリネット、コントラバスクラリネットの8重奏で編成され、7重奏でも演奏することができます。
最初の「コラール」とは、教会に集まった人たちが歌う賛美歌です。
そして「舞曲」はダンス。
この曲は、そんな2つの異なる性格の音楽からできているのです。
「コラール」も「舞曲」も、両方ともユニゾン(1つの音)から始まります。
画像の画質が悪く見えにくくて申し訳ありませんが、こちらが舞曲の始め。
全員ずっとユニゾンで同じ音で動いています。
ネリベルの作品の特徴である強大なユニゾンが、ここに反映されているのです。
そしてこの曲で大事したいのが、半音で上がる音。
例えば、上の楽譜の赤い四角の中の2つの音のようなものが、曲中に何度も出てきます。
こちらもネリベル作品の特徴なんだそうです。
テクニック的にはそんなに難しくなく、楽器を初めて間もない中学生でも演奏できるような曲ですが、曲は奥が深く、聴いていてもうっとりしてしまう素敵な曲だと思います(#^.^#)
『コラールと舞曲』を聴いてみたい方は、東京クラリネットアンサンブルさんの素敵な演奏がこちらにあります↓