ドビュッシーの生家を見学!パリ郊外のサンジェルマン=アン=レーへ
(写真:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
フランスの大作曲家、クロード・アシル・ドビュッシーが生まれたのは、パリ郊外のサンジェルマン=アン=レー(saint-germain-en-laye)という街でした。
彼が1862年に生まれてから2歳まで住んでいた家が、今も「ドビュッシーの博物館」として残されています。
そこへ行ってきたので、その様子を書いてみたいと思います!
サンジェルマン=アン=レー
サンジェルマン=アン=レーは、パリからRERで25分ほどのところにある街で、セーヌ川を一望できる台地にあります。
駅を出るとすぐ、ルイ14世が生まれたお城である「サンジェルマン=アン=レー城」が現れます。
12世紀に城塞として建てられ、16〜17世紀にヴェルサイユに移るまでは、ここが王の居城でした。
サンジェルマン=アン=レーには、ドビュッシーの博物館がある他、ここに長年住んでいた画家のモーリス•ドニの博物館もあります。
モーリス•ドニはドビュッシーとの親交も深かったそうです。
ドビュッシーの生家
ドビュッシーの生家があるのはここです↓
ドビュッシーが生まれた家は現在、1階は観光案内所になっていて、2階に博物館があります。
入口には、ドビュッシーがここに住んでいたということが書かれたプレートがあります。
開いてる時間は2019年9月現在で、
水~金曜15:00~19:00、日曜15:00~18:00、
7月14日~8月15日は土曜と日曜のみの営業(祝日を除く)
という感じで、開いてる時間は意外と短いので要注意です!
以前は無料で見学できたのですが、現在は入場料が一般5ユーロ、学生3ユーロ、第一日曜日は無料となっています。
わたしが行った時はちょうど、「Debussy-Japon」という、ドビュッシーと日本のイベントをやっていました。
ドビュッシーは、日本にたくさん影響を受けて作曲していたのです!
見学開始!
1階の受付でチケットを買ったら外に出て階段を上って2階へ。
ここが、博物館となっているお部屋です。
ドビュッシーの幼いころの写真や家族の写真、そして真ん中には、彼の髪の毛があります。
彼が実際に使っていたメトロノームや音叉、指揮棒なんかも残っています。
そして、奥の部屋に行くとドビュッシーゆかりの品がたくさん飾られています。
奥に飾られている魚の絵は、ドビュッシーのピアノ曲『映像』第2集 3.金色の魚の発想を得た絵です。
この絵を見ただけで、あんな素晴らしい曲を書いてしまうなんて、、
ドビュッシーはこんなものまで持っていたんだそうです。
墨入れかな?
本当に日本が好きだったんだなと感じます。
ドビュッシーは特に日本の美術が好きだったようで、彼の名作である交響曲『海』のスコアの表紙は葛飾北斎の『神奈川沖波裏』になっているなど、彼の日本好きは作曲にもたくさん影響しています。
こちらは明治時代のカエルの置物。
ドビュッシーは、カエルの置物を愛用していて、「アルケル」という愛称をつけていました。
「アルケル」という名前は、ドビュッシーの名作オペラ『ぺリアスとメリザンド』の主人公「老王アルケル」からきているそうです。
ドビュッシーが当時3歳だった娘のエマのために作曲した『子供の領分』。
バレエ音楽『おもちゃ箱』
挿絵画家アンドレ・エレがドビュッシーに『おもちゃ箱』というタイトルのアルバム集を見せると、彼はこれを気に入り、絵本と台本に基づいてこの曲を作曲しました。
まとめ
博物館といっても小さなお部屋ですが、あのフランスの大作曲家がここで生まれたんだと感じることができる大事な場所です。
パリから電車で40分ほどなので、パリに行く機会があれば、是非立ち寄ってみてください!