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碧南エメラルドホールで、オペレッタ「メリー・ウィドウ」に参加させていただきました♪

   
先日、愛知県碧南市の碧南市文化ホール エメラルドホールにて行われた「メリー・ウィドウ」の公演に参加させていただきました。
 
キャストは様々なところで活躍されている素晴らしい方々!
素敵な方々と共演させていただけて学ぶことがたくさんありました。
 
 
今回は「メリー・ウィドウ」について書いてみたいと思います!
 
 

目次

「メリー・ウィドウ」ってどんな作品?


 
「メリー・ウィドウ」はハンガリーの作曲家フランツ・レハールが作曲したオペレッタ。
彼の代表作品として、世界中で愛されている作品です。
 
オペレッタというのはイタリア語で「小さいオペラ」という意味で、基本的にはハッピーエンドの楽しいお話です。
セリフから急に歌になり、またセリフがあって、、を繰り返しながら物語が進んでいきます。
 
 
「メリー・ウィドウ」は1900年ごろのパリが舞台となり、ウィーンのワルツや軽快なフレンチカンカンなどのダンス音楽が盛り込まれたロマンティック・コメディとなっています。
 
作品の中には美しいメロディーがたくさん登場し、思わずうっとりしてしまいます。

 
 
 

作曲者フランツ・レハールってどんな人?


写真:Wikipedia
フランツ・レハールはドイツ人の両親のもとハンガリーに生まれました。
 
プラハ音楽院ではドヴォルザークに師事し、軍楽隊長を経てウィーンでオペレッタ作曲家として活躍しました。
 
ドイツ人の両親のもとに生まれ、ハンガリーやチェコ、ウィーンに、ベルリンなどに住み、様々な国の影響を受けたレハールの作品は国際性が豊かで、ウインナ・オペレッタの「銀の時代」と呼ばれる黄金期を代表する作曲家となったのでした。
 
 
ヒトラーの独裁政権だったこの時代、レハールの奥さんはユダヤ人でしたが、ドイツのナチス党政権からの庇護を受けていました。
その理由は、「メリー・ウィドウ」がヒトラーの好きな作品であったから。
 
そのため、彼は政治に関してほとんど無関心であったにも関わらず、戦後も「ナチスへの協力者」として、オーストリア及び西ドイツで非難される事となりました。
 
 
 

「メリー・ウィドウ」のあらすじ

↓↓「メリー・ウィドウ」のあらすじはこちら

“ダニロ(T、Br): 公使館の書記官
ハンナ(S): 老富豪の未亡人(ウィドウ)
ツェータ男爵(Br): パリ駐在のポンテヴェドロ公使
ヴァランシエンヌ(S): ツェータ男爵の妻
カミーユ(T): パリの色男
ほか
 
【第1幕】
時は1905年当時、舞台はパリ。パリにあるポンテヴェドロ(仮想の小国)公使館では、公使のツェータ男爵が悩みを抱えていました。それは、老富豪と結婚後わずか8日で未亡人となったハンナが、パリに居住を移したこと。もしハンナがパリの男と結婚したら、莫大な遺産が母国ポンテヴェドロから失われることとなり、国の存亡に関わるのです。
そこでツェータ男爵は、公使館の書記官ダニロを彼女と結婚させて、遺産が他国に流出するのを食い止めようとします。実はダニロは、ハンナと過去に愛し合っていた仲でしたが、身分の違いから彼の親族が反対したため、結婚できなかったという経緯がありました。彼は、大金持ちとなったハンナに、いまさら結婚したいと言い出せません。ハンナとしても意地があるわけで、素直になることはできません。
 
【第2幕】
翌日、ハンナ邸で開かれた夜会で、ツェータ男爵の妻ヴァランシエンヌが、パリの色男カミーユに口説かれていました。ヴァランシエンヌは自らの扇子に「私は貞淑な人妻です」と書いて誘いを断ります。けれど、ヴァランシエンヌはとうとうカミーユの誘いを振り切れず、庭の小屋で二人きりになります。それに気付いたのが夫のツェータ男爵。怒って現場を押さえようとすると、小屋から出てきたのはカミーユとハンナでした。ヴァランシエンヌを救うためにハンナがうまく入れ替わったのです。そして成り行きでハンナは、カミーユとの婚約を発表します。それを聞いて驚いたのはダニロ。彼は心の中の動揺が隠せません。彼の動揺する姿から、ハンナは自分への愛を確かめることができました。
 
【第3幕】
祖国存亡の名目もあり、ダニロは、ハンナとカミーユの結婚を阻止しようと、ハンナを説得します。カミーユとの結婚は無しとなり、ダニロとハンナは和解しましたが、それでもダニロは結婚を申し込もうとしません。
このときハンナは、亡夫の遺言に「再婚するなら、彼女は全財産を失う」とあることを明らかにします。それを聞いて喜んだダニロは、即座に求婚しました。ハンナは喜んでこの申し出を受けて、遺言の続きを明らかにします。そこには「彼女の失った全財産は、再婚した相手に与える」とあったのでした。
ところで、ハンナ邸の庭の小屋にヴァランシエンヌの扇子が落ちていたことから、カミーユとの一件が、ツェータ男爵の知るところとなります。ツェータ男爵がヴァランシエンヌに離婚を告げると、彼女は扇子を開くように言います。そこにはもちろん「私は貞淑な人妻です」と書かれており、ツェータ男爵は妻に許しを求めたのでした。”
 
参照:わかる!オペラ情報館

 
 
 

エメラルドオペラ♪


今回の公演が行われたのは、愛知県碧南市にある碧南市文化芸術ホール エメラルドホール。
 
わたしはこのホールに入るのは初めてでしたが、天井にはシャンデリアが飾られ、ゴージャスでとても素敵なホールでした。

 
 
今回このオペレッタに演奏として参加させていただけたのは、先日わたしが第一期生として修了した演奏家育成プログラム「スター・クラシックス・アカデミア」からこんな素敵な機会をいただいたから!
 
「スター・クラシックス・アカデミア」では9か月間、様々な講師の方々の講義を受けさせていただき、3月に無事に第一期生として修了しましたが修了した後も演奏の機会をくださるなど、様々な面でサポートをしてくださいます。
 
 
コロナの影響でなかなか演奏の機会がない中で、このように演奏の場をいただけるということはとても嬉しいことだし、こんなに豪華な方々と演奏できることで、色々勉強になることばかりでした。
 
 
 

公演を終えて


今回はコロナの影響で客席を半数にしての開催でしたが、舞台上からお客さんの顔が良く見えて、マスク越しでもたくさんの笑顔を見ることができて良かったです。
 
 
オペラで演奏させていただくことなんて今までの人生でほとんどなかったので、自分にとって本当に貴重な経験でした。
歌と一緒に合わせることは、普段楽器同士で合わせるのとは全く違って、一緒に演奏することで色んなことを感じたり、新しい発見があったりと、学ぶことがたくさんあり、、
 
それと同時に自分の未熟さにも気づくことができ、たくさんの反省点があったので、これから演奏を続けていきながらどんどん改善していけたらなと思います。

 
 
こんな素敵な機会をいただけたことに感謝を忘れず、これからも色々なところで学んでいけたらいいです(o^―^o)♪
 
 

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この記事を書いた人

マソン優貴葉のアバター マソン優貴葉 クラリネット奏者

名古屋音楽大学を卒業後、フランスのムードン音楽院、ヴェルサイユ音楽院の最高課程を修了。
4年間のフランス留学を終え2019年に帰国し、現在は愛知県名古屋市を中心に演奏活動や、個人レッスン、音楽教室でのレッスンなど幅広く行っている。

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