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エクス=アン=プロヴァンスで、作曲家ダリウス・ミヨーが住んだ家とお墓を訪れて

フランス6人組のひとりであるダリウス・ミヨー(1892~1974)は、南フランスのエクス=アン=プロヴァンスという町で育ちました。
 

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エクス=アン=プロヴァンスは、画家ポール・セザンヌの出身地としても有名な町です!

 
 
ミヨーが1909年にパリ音楽院に入学するまで暮らしていお家が今も残っていたので、そこを訪れてきました。
 

 
 

目次

ミヨーが住んでいた家

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こちらがミヨーが住んでいたお家です。
 
 
おうちの前にプレートがあるという情報を聞いていて、おうちの前にたどり着くと、、
 
 
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なんと、プレートがない!!!
 
落ちそうだったので、壊れないようにはずしたんだそうです。残念、、
 
 
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ミヨー家が住む前はここは宿として使われており、ミヨー家がここを買ってからこの立派なドアがつけられたのだそうです。
 
 
中に入ってみると受付に女の人がいました。
 
わたしたちがパリから来て、ミヨーについて知りたくてここに入ったんだと言うと、その人はすごく喜んでいました。
 
こでこは今、芸術の道に進みたい人のための相談を受けたりしている施設になっているようです。
わたしのようにミヨーのプレートを見に来る人も多いのだとか。
 
 
せっかくパリから遥々やってきたのだからと、女の人がミヨーについてのビデオを見せてくれることになりました!
 
ビデオは15分くらいで、ミヨーの生涯や、ミヨーが活躍しているところ、ミヨーの言葉など色々なことが詰め込まれていました。
 
 
 
ミヨーは、『フランス組曲』や『プロヴァンス組曲』など、自分が育ったところについての曲を書きながらも、さまざまな国行ってジャズやダンス音楽などに触れ、それを反映した曲もたくさん書いています。
 
 
特にブラジル音楽にはたくさん影響を受けたようです。
 
 
 
実はこの家は、これまでに何度も取り壊されそうになった危機を乗り越えてきた!!
 
ここに電車の線路が造られようとしたときは線路の方向を変えたり、このあたり一帯にカジノが造られそうになったときは、この家だけ残してもらったりと、エクス=アン=プロヴァンスの町に守られてきた大事な家だったのです。
 
 
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ミヨーの肖像画。
 
 

入口にはピアノが飾られていました。
 
 
○ミヨーが住んだ家

 
 
 
 

ミヨーが眠るサンピエール墓地

ミヨーの家を見学した後は、サンピエール墓地にミヨーのお墓参りに行ってきました。
 
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サンピエール墓地のユダヤ人の地帯の入口から入ってすぐ、手前から2番目です。
 
 
 
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奥さんと一緒に安らかに眠っています。
 
とても静かで、山に囲まれた素敵な場所でした。
 
 
○サンピエール墓地

 
 
 

まとめ

ミヨーは今でもずっとエクス=アン=プロヴァンスの町に守られている、大事な作曲家であったんだなあと感じました。
 
彼のことをもっと知りたいなら、エクス=アン=プロヴァンスに是非行ってみてください(o^―^o)
 
 

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この記事を書いた人

マソン優貴葉のアバター マソン優貴葉 クラリネット奏者

名古屋音楽大学を卒業後、フランスのムードン音楽院、ヴェルサイユ音楽院の最高課程を修了。
4年間のフランス留学を終え2019年に帰国し、現在は愛知県名古屋市を中心に演奏活動や、個人レッスン、音楽教室でのレッスンなど幅広く行っている。

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