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ハンブルクの作曲家地区へ!ハンブルクゆかりの作曲家博物館を見学

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ハンブルクには「作曲家地区(Komponisten Quartier)」というのがあって、ここにはブラームス博物館を始め、ハンブルゆかりの作曲家たちの博物館があります。
  
  
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ここから入るとカウンターがあるので、そこでチケットを買うことができます。
  
全部の博物館を見学できるチケットを9ユーロで購入。

  
  
  
  

目次

ブラームス博物館


こちらがブラームス博物館
この博物館だけは前からあるので、少し離れたところに建っています。
  
  
インターフォンを鳴らすと中から係りの女性が出てきて、博物館の説明を丁寧に英語でしてくださり、日本語の解説のプリントを渡してくださいました。
  
博物館は2階までの小さな空間です。
  
  
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ブラームスの像がお出迎えしてくれます。
  
  
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彼の両親の話から始まり、ブラームスのことが写真と一緒に書かれています。
食器など、身の回りのものも展示されていました。
  
  
  
そして2階へ。
  
この博物館にはブラームスが実際に使ったというピアノがあるということで、楽しみにしていたのですが、、
  
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な、ない!??
  
係りの方に聞くと、修理に出していてまだ返ってこないのだそうです。
残念、、
  
写真だけ置いてある笑
  
  
この博物館に置いてある楽譜は、ほとんどが原譜は他のところにあり置いてあるのはコピー譜でしたが、焼失してしまったブラームスの生家の代わりに、この博物館には世界中から見学者が集まっているのだそうです。
  
  
  

ハンブルクゆかりの作曲家博物館

ブラームス博物館を出たら、次はハンブルクゆかりの作曲家たちの博物館へ。
先ほどチケットを買った場所の奥が博物館となっています。
  
  
荷物はコインロッカーに預けるように言われ、1ユーロか2ユーロのコインを入れて最後には戻ってきます。
  
  
こちらの博物館に紹介されている作曲家は、テレマン、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ、ヨハン・アドルフ・ハッセ。そしてマーラーとメンデルスゾーンです。
  
ヘッドフォンを貸してくれるので、コードを聴きたいところにつないで、説明や音楽を聴きながら見学ができます。
  
  
  
☆テレマン
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まずはテレマン。
テレマン(1681~1767)は後期バロック音楽を代表する作曲家で、リコーダーの名人でもありました。
  
  
人生最大の転機は40歳でハンブルク市の音楽監督となった時。
  
彼の就任1年後にはハンブルクの歌劇場が再建され、音楽監督に加え、歌劇場の作曲も任されました。
  
それから亡くなるまでの46年間、ハンブルク市全体の音楽を指導する立場となり、高い名声を獲得したのでした。
  
  
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彼の楽譜や手紙などの複写がたくさん展示されています。
  
  
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このスピネットは2011年にこの博物館に送られたThomas Hitchcock London 1730というモデルで、この時代はこのモデルが基準となって楽器が作られていたのだそうです。
  
  
  
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)はヴァイマルで生まれ、彼の名付け親は父の友人であるテレマンでした。
  
テレマンが亡くなると、その翌年にハンブルクへ転出し、テレマンがやっていた楽団の楽長やヨハネウム学院のカントル職などを引き継ぎます。
  
そしてハンブルクで亡くなるまでに、たくさんの受難曲やカンタータなどの宗教曲を作曲し、彼の作風は後にハイドンやモーツァルトにも影響を与えたのでした。
  
  
  
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彼の時代に使われていたFriederici gera 1765というクラヴィコードの複製が展示されていました。
  
本物は、今は世界に3台しか残ってないのだそうです。
  
  
  
ヨハン・アドルフ・ハッセ
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ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699~1783)は、ハンブルク近郊のベルゲドルフで生まれ、テノール歌手として劇団で成功を収めました。
  
そしてブランシュヴァイク=リューネブルクの宮廷劇場と契約し、今度は作曲家としてデビューするとイタリアへ。
  
イタリアでオペラを作曲して名声を確立すると、以後ロンドン、ドレスデン、ウィーンなどへ渡りますが、最後はヴェネツィアに定住し、ここで亡くなりました。
  
  
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彼の時代のオペラの舞台構造を再現したものを見ることができます。
  
  
  
マーラー
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マーラー(1860~1911)は30歳のとき、ハンブルク国立歌劇場の初代監督となりました。
  
  
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ハンブルク国立歌劇場にはこんなプレートがあります。
  
  
  
☆メンデルスゾーン
メンデルスゾーン(1809~1847)は、裕福な銀行家の息子としてハンブルクで生まれました
  
しかし一家は、アブラハムの銀行がナポレオンの大陸封鎖令を破ろうとしたことに対する報復を恐れて、2年後にはハンブルクを離れベルリンへ移ります。
  
  
メンデルスゾーンがハンブルクで過ごした時間は短いものでしたが、彼の生誕の地として重要な場所となっています。
  
  
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この美術館のための貸し出し品として1800年のハンマーフリューゲル、hammerflügel um 1800 nussbaum が置かれていました。
  
  
  

まとめ

こんな感じで、ハンブルクで過ごした有名な作曲家はたくさんいるんです!
この博物館では、そんな作曲家たちについて深く知ることができます。
  
  
ただ残念だったのは、博物館の展示品についている説明書きは全部ドイツ語!
一応英語で説明が書いてあるパンフレットを貸してくれるのですが、それと合わせて見学するのは大変、、
  
今まで行ったヨーロッパの博物館では、たいてい英語の説明書きもあってそれが普通なんだと思っていたのですが、どうやらそうでもないようですね(;_;)
  
 
 

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この記事を書いた人

マソン優貴葉のアバター マソン優貴葉 クラリネット奏者

名古屋音楽大学を卒業後、フランスのムードン音楽院、ヴェルサイユ音楽院の最高課程を修了。
4年間のフランス留学を終え2019年に帰国し、現在は愛知県名古屋市を中心に演奏活動や、個人レッスン、音楽教室でのレッスンなど幅広く行っている。

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