バッハの故郷ライプツィヒで、偉大な音楽家たちの足跡をたどって
ドイツのライプツィヒ(Leipzig)は、シューマン、リスト、ワーグナーなどの偉大な音楽家たちが、素晴らしい業績を残した音楽の街です。
そして音楽の父とも言われる、あのJ.Sバッハが生まれた街なのです!!
そんな、音楽をやっている人にとっては夢のような街、ライプツィヒの音楽スポットをまとめてみました☆
★カフェバウム~旧市庁舎
カフェバウム
1720年、ドイツで初めてできたコーヒー店がここコーヒーバウムです!
シューマンはここの常連客で、ここで音楽について語り合っていたのだそうです。
ホテル・デ・ザクセ跡
ここは元々ホテル・デ・ザクセというホテルだった場所で、建物はもう前のものはありませんが入口だけは復元されました。
ここにはモーツァルトの妻コンスタンツェが宿泊しました。
コンスタンツェは、1796年4月に行われるモーツァルト作曲『レクイエム ニ短調』の初演のために、この楽譜を持っていたのだそうです。
トーマス教会
トーマス教会は、バッハゆかりの地としてとっても大事な場所!
バッハはこの教会の音楽監督を務めていて、日曜の礼拝のために毎週新曲を書いていました。
曲を作ってパート譜を書き、みんなで練習をして日曜日の本番をむかえるという、その作業はものすごく大変だったのだそうです。
でもそのおかげで、バッハの素晴らしい曲がたくさん生まれることになったのです。
教会の前にはバッハ像!!
トーマス教会の中はとっても素敵です。
左側のステンドグラスの中にバッハがいました。
そして、バッハが弾いたオルガンがこちら!
もうずっと前のことですけど、ここに本当にバッハがいて、ここでオルガンを弾いていたんだと思うとなんか感激、、
音も聴いてみたかったなあ。
教会内には、バッハに関する展示の部屋もありました。
そして教会の横の公園ではメンデルスゾーンの像を発見。
バッハ博物館
ここがバッハ博物館。
ここにはバッハに関する貴重な資料たちが展示されていて、バッハについての詳しいことを知ることができます。
↓↓ バッハ博物館についての詳しい話はこちらからどうぞ!
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バッハ博物館はバッハが住んでいた場所ではなく、バッハが実際に住んでいたのは博物館の向かいにあるこの、教会の聖歌隊の人たちがいた音楽学校の中でした。
旧市庁舎
かわいい時計が印象的です。
1905年まではここが音楽の舞台となっていました。
バッハがトーマス教会の音楽監督になるというサインをしたのが、ここの政務室です。
旧市庁舎の前には広場があり、ここでマーケットが開かれていたりと、たくさんの人で賑わっていました。
★クララ・ヴィークの生家跡~ライプツィヒ歌劇場
そして、付属のパウリーナ教会では、バッハ作品の初演やメンデルスゾーンの告別式も行われました。 ライプツィヒには、本当に音楽家ゆかりの地がいっぱい!!
将来シューマンの妻となるクララ・ヴィークは、1819年9月13日にここで生まれました。
ピアノ教師であったクララの父は、彼女を「第二のモーツァルト」に仕立てたくて、厳しい音楽教育をします。
そしてクララは、天才ピアニストとしてヨーロッパ中で活躍し、後にシューマンと結婚したのでした。
旧音楽院、織物倉庫(ゲヴァントハウス)跡
ここには、メンデルスゾーンが設立したドイツ初の音楽院、ライプツィヒ音楽院がありました。
1843年に開校し、1887年に現在の校舎へと移転したため取り壊されたので、今はもうありません。
そして同じ通りにあったのがゲヴァントハウス管弦楽団の最初のホールです。
1781年に音楽ホールに改装されました。
1894年に取り壊されたので、こちらも今はありあせん。
ニコライ教会
バッハと言えばトーマス教会という感じですが、彼はこの教会でも活躍しました。
バッハの『ヨハネ受難曲』や『クリスマス・オラトリオ』はここで初演されたのでした。
がっつり工事中でしたが、、笑
ゲヴァントハウス
こちらがゲヴァントハウスコンサートホール!!
1743年にできた歴史あるゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地で、メンデルスゾーンらがこの常任指揮者を務めていました。
現在もここでたくさんのコンサートが開かれています。
ゲヴァントハウスの裏の公園にはシューマン像があります。
ライプツィヒ大学
この近代的な建物がライプツィヒ大学です。
ライプツィヒ大学は、ドイツで2番目に歴史のある大学で、テレマンやシューマン、ワーグナーという音楽家たち、そして森鴎外も通っていました。
この大学の行事のためにバッハが楽曲を提供していたのだそうです。
ライプツィヒ歌劇場
ライプツィヒ歌劇場は1693年に開館した、ヨーロッパで3番目に古い劇場なんです!
手前の人形は、イベントの最中だったので写ってしまいました、、笑
★グリーグ記念館~シューマン、クララ旧宅
グリーグ記念館
エドヴァルド・グリーグはここで、あの名曲『ペールギュント第一組曲』を作曲しました。
ここの2階がグリーグ記念館となっています。
グリーグは3年半の間ライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学んでいて、生涯妻と一緒にここを訪れたのだそうです。
お庭にはグリーグ像がありました。
メンデルスゾーン博物館
メンデルスゾーンが住んだこの場所は現在、メンデルスゾーン博物館となっています。
シューマン、クララ旧宅
シューマンと妻のクララが、1840年の結婚式翌日から1844年まで住んだ家がここです。
二人はこの時新婚さんで、幸せいっぱいでした!
シューマンは「歌の年」「交響曲の年」と言われるくらいたくさんの素晴らしい曲を、クララとの愛によってここで生み出したのでした。
ここも博物館になっているのですが、行った時は18時を過ぎていて、すでに閉館してしまっていました。
残念、、、
まとめ
たくさんの音楽家たちがここで活動し、交流した大事な場所なので、ライプツィヒはとっても行く価値のある街だと思います(*´∇`*)