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バッハの直筆楽譜が見られる!ライプツィヒのバッハ博物館


 
「音楽の父」とも言われたヨハン・セバスティアン・バッハが、人生の後半に住んだ街ライプツィヒにはバッハ博物館があります。

 
バッハ一家が実際に住んでいたのは向かいにあったトーマス学校校舎、兼寄宿舎の中でしたが、当時バッハと親しくしていたボーゼ家が住んでいた邸宅がこの博物館になっています。
 

そんなバッハ博物館について書いてみたいと思います。

 

 

目次

バッハ博物館の場所


 
バッハ博物館はトーマス教会のすぐそばにあります。
 
 
開館時間は、火~日曜日の10~18時。
月曜日と12月24、25、31日は休館です。

 

 

 

チケットを購入

中に入ると、入口にあったのが、、
 

 

日本語の案内!!
 

yukiha
それだけここを訪れる日本人は多いのですね!

 
 
実際わたしが行った時も、博物館の中で何人かの日本人とすれ違いました。
 

 
チケット代は一般が8ユーロ、学生は6ユーロでした(2019年現在)。

 

 
 

日本語のオーディオガイド

オーディオガイドは無料で借りることができ、どの言語が良いか聞かれます。
 
もちろん日本語あり!!
 

こんな感じで、説明を聞きたいところをタッチすればいいだけの簡単な機械です。
 

 

 

さあ、見学開始!

準備が整ったらいよいよバッハ博物館の見学開始です。
 
 
まず最初に確認しておく大事なことは、バッハ一族について。

バッハの家系は代々音楽関係の仕事に携わってきました。
 
音楽と関わりがあった中で一番古い先祖はパン職人で、パンの粉をひく間にツィターという楽器を演奏していたんだそうです。
 
 
バッハは自分が50歳になった年に、バッハ一族の男子53人の履歴をまとめた家系図をつくりました。
 


そんなバッハ一族の家系図をここで見ることができ、彼らが作曲した音楽も聴くことができます。
 

 

 


バッハは新しいオルガンが制作されたり、古いものが修復されたりするとその検品をしていました。
 
これがバッハが最も厳しい審査をした、ライプツィヒのオルガンで唯一残っている部分なのです!
 
 
 

そしてこちらはバッハ家のものとわかった唯一のもの。
 
バッハの手紙の刻印にも使われていたマークがここにも書かれていたので、それが本物であることが証明できたんだそうです。
 
 
 

こちらはバッハ一家が住んでいた、博物館の向かいにあったトーマス学校校舎兼寄宿舎の模型。
 
当時はここに55名の少年合唱団が暮らしていました。
 
 

トーマス学校は今はもうありませんが、当時バッハと親しくしていたボーゼ家が住んでいたこの博物館にもバッハは出入りしていたようです。
 
 
 

この博物館では、バッハの生涯をパネルで説明していたり、
 
 
 

楽器を紹介していたりと、とてもわかりやすい展示がたくさんありました。
 
 
 
 


そして貴重品室には、バッハの直筆楽譜や遺留品など、本当に貴重な展示品が展示されていました。

 
 
 

部屋は光が当たらないよう暗くて空調管理もされ、痛まないよう展示品は密閉のガラスの箱にいれられています。
 
それも、ずっと展示しっぱなしにはせず、交代で展示しているんだそうなので毎回違う貴重な展示が見られるようです。

 
 
 

見学した感想

バッハ博物館では、バッハに関する本当に貴重なものをたくさん見ることができました。
 
日本語のガイドもあったので、ドイツ語が分からない方でもものすごくわかりやすい!
バッハについて深く知ることができた良い機会でした。
 
ライプツィヒに行ったら是非行ってみてください(*^_^*)
 
 

バッハ=魂のエヴァンゲリスト (講談社学術文庫)

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この記事を書いた人

マソン優貴葉のアバター マソン優貴葉 クラリネット奏者

名古屋音楽大学を卒業後、フランスのムードン音楽院、ヴェルサイユ音楽院の最高課程を修了。
4年間のフランス留学を終え2019年に帰国し、現在は愛知県名古屋市を中心に演奏活動や、個人レッスン、音楽教室でのレッスンなど幅広く行っている。

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