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ウィーンでモーツァルトゆかりの地をめぐる

 
モーツァルトは1781年3月、25歳の時にウィーンへやってきました。

 

彼はウィーンで、フリーの音楽家として演奏会を行ったり、オペラの作曲、レッスン、楽譜の出版などをして生計を立てていたのです。

 

そんなモーツァルトがウィーンで住んだ場所や、彼ゆかりの地を訪れてきました!

 

 

目次

フィガロハウス


モーツァルトはウィーンに住んだ11年間で13回も引越しをしましたが、その中で唯一現存するのがこのフィガロハウス!
モーツァルト没後150周年の1941年に、ウィーン市の管轄局によってこのフィガロハウスが設立されました。
 

モーツァルトは1784年9月29日から1787年4月23日までここに住み、ここであの有名なオペラ『フィガロの結婚』を作曲したのでした。

 
 
 

現在はフィガロハウスというモーツァルトの博物館になっていて、彼の生活を紹介していたり、彼に関する展示品が置かれています。

 

 

 

まずはチケットを購入。
見学のためのチケットは、一般は11ユーロで、学生だと9ユーロでした。

 

 

 

裏はモーツァルトのオペラ『魔笛』の舞台になってる♪
 
 
受付でオーディオガイドを借りれるので、日本語での説明を聞きながら見学することができます。
 
 
 

中に入るとこんな感じで、5階建てになっています。
 
 
 

見学できるのは4階から下。
3、4階にはモーツァルトが生きた時代のウィーンや当時の生活環境が紹介されていて、モーツァルトが住んでいた2階まで見ることができます。
 

残念ながら写真撮影は禁止でした、、
 

 
 
 

モーツァルトがこの家に住んでいた時は彼にとって黄金時代で、とっても贅沢に暮らしていました。
当時、ここはウイーンで最も人気の高い住宅のひとつだったのです。
 
 
 
モーツァルトがなぜこんな贅沢な暮らしができたのかというと、当時のウィーンでは政治、社会、思想など革新の運気がみなぎっていて、文化イベントの中心は音楽でした。
 
そんな中、天才モーツァルトはたくさんの貴族から後援され、高く評価され、、
彼はウィーンの社交界に身を投じ、舞踏会に出かけ、ファッション、カード遊び、美しい女性に夢中になり、華々しい生活を送っていたのです。
 
 
 
 
ここには4つの部屋と2つの小部屋、台所がありました。
モーツァルト家ではホームコンサートが開かれたり、ビリアードの夕べが催されたりと、人の出入りが多く騒々しかったようです。
 
モーツァルトがこの家に引っ越してきた時は、妻のコンスタンツェ、生後9日目の息子カール=トーマスも一緒でした。
 
 
現在、モーツァルト一家が使っていた家具などは残っていませんが、その時代の家具が置かれていたり、モーツァルトの手書き譜が展示されていたりして、彼らが住んでいたころを想像しながら見学することができます。
 
 
 

 

 

 

モーツァルト最期の家


モーツァルトは、1791年12月5日にここで亡くなりました。
モーツァルトが住んだ当時の建物は1849年に取り壊されてしまい、今はもうありません。
 
 
 

プレートが残されています。
 
 
 
 
モーツァルトが演奏旅行に行っている間の1790年9月30日、妻のコンスタンツェがここに引っ越して来ました。
 
ここでモーツァルトは、オペラ『魔笛』『ピアノ協奏曲第27番』『クラリネット協奏曲』などの名曲を書きます。
 
 
そして翌年1791年の7月、謎の使者から匿名で『レクイエム』の依頼がきます。
 
その年の11月、モーツァルトは病に侵されながら自分への鎮魂歌だと言って『レクイエム』の作曲を続けますが、それが完成することはなく、弟子のズュースマイヤーに託して1971年12月5日に世を去るのでした。
 

 

 

 

 

 

 

シュテファン大聖堂


ここシュテファン大聖堂はウィーンの観光名所で、世界遺産にも登録されています。

 

ここで1782年、モーツァルトはコンスタンツェ・ウェーバーと結婚し、1791年には葬儀が行われました。
晩年のモーツァルトはここの副楽長に一時就任したこともありました。
 

 

 

中もとっても素敵です。
有料ですが、塔に上ればウィーンの街並みを眺めをこともできます。
 

 

 

 

 

 

 

シェーンブルン宮殿


こちらも世界遺産に登録されている、640年もの間オーストリアを支配していたハプスブルグ家の夏の宮殿です。
 
 
 
1762年12月、当時6歳だったモーツァルトは、女帝マリア・テレジアの御前演奏のためここへ招待されたのでした。
 
この時、宮殿内で転んでしまったモーツァルトに駆け寄り、救いの手を差し伸べたテレジアの娘マリー・アントワネットに向かって「僕のお嫁さんにしてあげる」と告白したのだそうです。
 
 
中は写真撮影禁止だったので残念ながら写真はありませんが、とっても広くてゴージャスで見応えのある内装でした。
 

 

 

 
 
 
 

まとめ

ウィーンでのモーツァルトゆかりの地めぐりは、旅行会社のツアーなどにも入っていて、クラシック音楽に詳しくない方でも楽しめると思います。
オーディオガイドも、日本語があるところばかりなのでわかりやすい!
 
 
ウィーンは他のヨーロッパに比べると観光客は多くなく、旅先で日本人と出会うことも少なかったですが、街はとてもきれいで安全なところなので、音楽を勉強している方はもちろん、行ってみる価値のある場所だと思います(^^)
 

 

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この記事を書いた人

マソン優貴葉のアバター マソン優貴葉 クラリネット奏者

名古屋音楽大学を卒業後、フランスのムードン音楽院、ヴェルサイユ音楽院の最高課程を修了。
4年間のフランス留学を終え2019年に帰国し、現在は愛知県名古屋市を中心に演奏活動や、個人レッスン、音楽教室でのレッスンなど幅広く行っている。

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