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ビゼーが晩年に住んだ、ブージヴァルのお家へ

写真: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『カルメン』『アルルの女』の作曲者として有名なフランスの作曲家ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)

彼は、1875年6月3日にパリの郊外ブージヴァル(Bougival)という街で亡くなりました。

そんな、ビゼーが晩年に過ごした家がまだ残っているということで、見にいってきました!

目次

ブージヴァル

ブージヴァルはパリから約15kmの西郊外にあり、セーヌ川の流れる静かな街です。

セーヌ川の流れる静かな田舎の雰囲気が画家たちにも人気で、印象派の画家がよくここを創作活動の場として用いていました。

ルノワールの「ブージヴァルのダンス」、モネの「ブージヴァルの橋」、ピサロの「ブージヴァルのセーヌ川」など、ブージヴァルを描いた作品がたくさんあります。

そして音楽では、ヴェルディのオペラ『椿姫』の舞台になったのもブージヴァル!

マルグリットとアルマンが2人だけで田舎生活をしたのがブージヴァルでした。

ビゼーの家へ

そんなブージヴァルにある、ビゼーが晩年に住んでいた家を訪れてみました。

ビゼーの家があるのはココ



ここへの行き方は、RER A線のNanterre Préfecture駅かSaint-Germain-en-Laye駅から、259番のバスに乗ってMaison rougeというバス停で降りたら歩いてすぐです。

降り立ったバス停はこんな感じ

ビゼーのお家が現れました!

 

2018年7月25日にYveline地方がこの家を買い取り、博物館のようにしてみんなに見てもらえるよう、わたしが訪れたときはちょうど改装中でした。

玄関にはプレートがあり、「ビゼーはこの家で1875年6月2~3日の夜に亡くなった」と書かれていました。


お家の前にはセーヌ川が流れ、とっても自然豊かで静かな場所でした。


バラも咲いてる♪

この頃のビゼー

ビゼーはこの頃、妻と上手くいっておらず2ヶ月の別居生活を送っていました。

 
そんな中、あの名曲『カルメン』はこの家で書きあげられ、1875年3月パリのオペラ・コミックで初演が行われます。
 
しかし、ヒロインが女性労働者だったことや、ガラの悪い役あったり乱闘を行う場面があったりしたことで人々の反感を買い失敗に終わると、ビゼーはその3ヶ月後に36歳の若さで亡くなってしまうのでした。
 
 
その年の10月、『カルメン』がウィーンで上演されると大成功を収め、その後は世界中で愛される名曲となっています。

ビゼーの家を訪ねてみて



すぐそばにはこんな散歩道もあり、作曲に集中するのにぴったりな場所だなあと思いました。
 
 
残念ながらお家の中に入ることはできませんでしたが、ビゼーが住んでいた場所の雰囲気を味わうことはできました!
 
博物館ができあがったら、もっとビゼーのことがよく知れるようになるんじゃないでしょうか。
 
 
バスの本数も多くパリからも行きやすいと思うので、フランスに行く機会があれば良かったら行ってみてください(^^)

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この記事を書いた人

マソン優貴葉のアバター マソン優貴葉 クラリネット奏者

名古屋音楽大学を卒業後、フランスのムードン音楽院、ヴェルサイユ音楽院の最高課程を修了。
4年間のフランス留学を終え2019年に帰国し、現在は愛知県名古屋市を中心に演奏活動や、個人レッスン、音楽教室でのレッスンなど幅広く行っている。

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